久々に信長の野望~武将風雲録~をやりまして【no.2201】
先日、時間があったので久しぶりにニンテンドースイッチの電源をオンにしてみました。月額課金サービスのニンテンドーオンラインに加入していると、ファミコンやスーパーファミコンの過去作がプレイできることは一般常識のひとつだと思うのですが、なんと「信長の野望~武将風雲録~」がプレイできることを発見してしまいました。
*わたしと「信長の野望」のご縁
ご存じの方がいるかいないか、いやあまりいなさそうですが、私、信長の野望の大ファンなんですね。しかも、武将風雲録(と覇王伝)の限定で。なぜなら、武将風雲録と覇王伝しか真面目にやったことがないからなんですね。おそらく中学1年生か2年生の夏休みあたりでしょうか。友達ともあまり遊ばず、夜な夜な信長の野望の野望をプレイしていました。あ、ちなみに友達と遊ばなかったのは私立の中学だったから、ですね。
しかも、こちらは大昔のECMJコラムで書いたかもしれませんが、大学受験の小論文のテストで何を血迷ったか「信長の野望」について論じまして、まさかの合格を勝ち取りました。私の母校である、いまはなき早稲田大学第一文学部の入学試験でした。信長の野望とはそんな切っても切れない関係ですから、プレイできることを知った時点ですかさずスタートボタンを押しました。
*大友宗麟へもの申す!
30年ぶりくらいでしょうか。といっても、10年ほど前にもプレイした気もするのですが、まったくもって武将風雲録に出会った日の画像そのまま。当たり前なんですが、30年経っても色あせることがないイラストです。やはり人間が感じる「価値」というものは、思い出や経験によって大きくバイアスがかかります。マーケティング的にも思い出とともによみがえるものが大事なのです。どうりでドラゴンクエスト3が何度もリメイクされるわけです。おそらく今後も我々世代が亡くなるまでリメイクされ続けるでしょう。
大人になってからプレイする武将風雲録は、子どもの頃と少し見方が変わります。私の高校は現在の佐賀である鍋島藩から生まれた学校だといわれています。それを知ってから戦国武将の鍋島氏にはかなり思い入れをもっているのですが、今回の信長の野望ではなんと1年目に鍋島直茂氏が討ち死にをしてしまいました。もちろんゲーム内での出来事なわけですが、これって、ウチの高校なくなるんじゃない?って思うじゃないですか。なんてことをしてくれたんだ、大友宗麟!
*「没頭できる」はやっぱりイイ
信長の野望なんで、基本的に織田信長でプレイをするようにしています。知っている方は知っているんですが、織田信長の家臣はやたら増えていくし、やたら数値が高いんですよ。政治とか戦闘とか教養とか魅力なんてパラメーターが高いんです。歴史なんてものは勝者の履歴ですから、きっと過去の文献も織田信長中心にしか残ってない。だから、織田信長の家臣は異常に着色されている大人の事情があると思うんですね。逆にいえば、蘆名氏とか相良氏とかは情報があまり残っていないのだと思われる。
信長の野望をスタートしてしまうと際限が利かなくなってしまい、毎晩プレイするように。やめどきがないんですよね。一度、飲んで帰ってきた日(たしか金曜)に少しだけやるかとプレイをして、ふと時計を見たら午前3時だったのにはちょっと引きました。なにやってんだ自分。そんなこんなで武将風雲録どハマりの期間が1週間くらいあったのですが、ふと気づいたんですよ。「これやってて何になるんだろう」って。その日から、信長の野望をプレイしていません。東日本をすべて制覇して、浅井氏との同盟を破棄し、これから西日本というところだったのにね。
はまりやすく冷めやすい。私の趣味はわりとこんなんです。わりとすぐに仕事にもどってきます。ただ、「没頭できる」ってやっぱりいいですよね。
カテゴリー: 0.ECMJコラムALL, 7.Eコマースのひと工夫, 9.Eコマースこぼれ話