著者:石田 麻琴

「成功する人間」と「成功しない人間」は最初から決まっている、のか【no.1492】

 たしかに成功する人間と成功しない人間は最初から決まっている、のかもしれない。ただ、成功する人間と成功しない人間のハザマにたくさんいる「成功するかもしれない人間」をはたして成功する人間に引き上げることができるか、それがコーチングのタスクでもあると思う。

 成功の定義は人によって様々だと思う。十分なお金を得ることかもしれないし、有名になることかもしれない、美人やイケメンと結婚することかもしれないし、運動が得意な子どもを持つこととか、頭の賢い子どもを持つことが成功と考える人もいるかもしれない。

 それでも「十分なお金」という成功の定義も明確なものではない。これを仮に、「年収1,000万円」とすると成功の定義が明確になってくる。有名になることも、美人やイケメンと結婚することも「定性的」にしか定義することができないので、ここでは仮に成功の定義を「年収1,000万円」としてみよう。

 まず、「年収1,000万円」という成功の定義は、自分が仕事をしている業界や市場によって決まってしまう。これは非常に残念なことに私も10年間社会で働いてから気づいたことなのだが、自動車業界で働いているか、介護業界で働いているかによって「年収1,000万円」に辿りつくかが決まってしまう。

 市場が縮小していると傾向が出てしまっている業界がある。たとえば白物家電メーカーの業界。たとえば出版業界。たとえばデジタルカメラの業界。人口動態の変化や代替されるテクノロジーの登場によって、市場が変化していく。市場が拡大する(拡大した)業界に早い段階で足を踏み入れていたなら、市場の追い風にのって「年収1,000万円」に到達するのも早いかもしれない。逆に市場が縮小する業界ならば「年収1,000万円」には一生たどり着かないこともありえる。

 また成功にたどり着くか否か、つまりここでいう「年収1,000万円」に到達できるか否かは、個人の考え方や習慣に支配されてしまっているという部分もある。寝る間も惜しんで仕事をし、休日返上で仕事をし、それでも成功に近づいている感がないならば、相当なブラック企業に勤めてしまっているか、相当に非効率な状態で働いているかのどちらかだと思う。

 ほとんどの人間が自分の力を出し切っていない。「将来こうなりたい」「自分はこうありたい」「こんなスキルを身につけたい」「変わりたい」「いままでのままじゃダメだ」。これらのことを自分の心の中で強く思っていたとしても、それが日々の具体的な行動に結びついていかない。

 朝なんとなく起きて、昼なんとなく仕事をして、夜なんとなく寝てしまう。未来の自分よりも、いまの自分の方がかわいく。遠くの目標が、近くの欲求にどうしても負けてしまう。このコラムを書いている我ながら、ドキッとしてしまう話である。

 結局は、成功するために努力したり、積み重ねたり、新しい刺激を受けるためのチャンスは転がっているはずなのに、自分自身の考え方と習慣によって「成功しないべくして成功しない」状態に陥ってしまうということなのだ。正直、これを突き付けられると人は逃げ場を失ってツラくなってしまう。

 考え方と習慣を考えることは簡単ではない。外の人間からみれば「ああすればいいじゃない」「こうすればいいじゃない」と具体的なアイデアを提案できるところなのだが、何が簡単でないかといえば、それを自分自身の日々の生活と習慣の中にどう浸透させていくか、変わることの抵抗感とどう折り合いをつけていくかが簡単ではないのだ。問題は、アイデアが正しいか正しくないのかではない。

 成功する人間と成功しない人間は最初から決まっている、のかもしれないが、「成功するかもしれない人間」がたくさんいることも忘れてはいけない。

 おわり。