著者:石田 麻琴

ファイナルファンタジーのグラフィック路線を全否定していたんだけど、実は・・【no.0589】

 いまさら「ああ、そうだったのか・・」と気づくことだってあります。そんな話です。

 先日、友人の講演を聞きにいきました。現在、Eコマース事業をメインとする会社を経営されている方です。この方と私は非常にウマが合います。弊社のECMJセミナーを聞きにきていただいてから仲が深くなりました。何度かご飯を食べながら、お互いの悩みを腹を割って話す。そんな関係です。

 しかしながら、これまでまとまった時間で話を聞くことはありませんでした。よく知った仲とは思っていても、1時間半の講演の中には様々な発見がありました。

 この方、現在の会社を起こす前は、国内のとある有名なゲーム会社に勤めていました。「歴史系のゲーム」の専門ゲーム会社、といえばピンとくる方も多いと思います。このゲーム会社がアメリカ進出をする際に、その代表を務めたのが、この私の友人の経営者だったのです。

 そこでの話です。

「私たちのゲームはアメリカの市場で非常に苦戦をしていました。日本の歴史系のゲームでは、アメリカの一部の『深い日本好き』の方しか興味がありませんから、市場のパイが少ないわけです。アメリカにも、シミュレーションゲームの強者がいくつかありました。ただ、すべての日本のゲーム会社がアメリカで苦戦しているわけではなく、例えばファイナルファンタジーは、日本と同様、アメリカでも成功していたのです」

 こんな話でした。「なるほど。ファイナルファンタジーはアメリカでも成功していたのか」。もろにファイナルファンタジー世代である私はそう思いました。しかし、「ああ、そうだったのか・・」と気づかされたのは、ファイナルファンタジーがアメリカでも成功した理由を友人が話したときでした。

「ファイナルファンタジーがなぜアメリカでも成功したかというと、当時の最新のグラフィック技術を使ってゲームを作っていたからです。なので、ファイナルファンタジーは『最新のテクノロジーを駆使したゲーム』として、アメリカの人たちにも『押さえておかなければいけない』ゲームだったのです」

 ・・ということらしいのです。つまり、ファイナルファンタジーは、そのゲーム性とかストーリー性でナンバーワンになったのではなく、「最新のグラフィック」というポイントでナンバーワンのポジションを得ていたのですね。

 「ああ、そうだったのか・・」と思いました。

 私はもろにファイナルファンタジー、ドラゴンクエストの世代です。初めてファイナルファンタジーをプレイしたのが、「ファイナルファンタジー3」でした。それから「ファイナルファンタジー4」「ファイナルファンタジー5」と発売日即日購入でプレイして、「ファイナルファンタジー6」も親にお年玉をもらった瞬間、ゲームショップに買いにいった記憶があります。

 しかし、ご存じの方も多いと思います。ファイナルファンタジーは「ファイナルファンタジー7」からちょっと毛色が変わっていったんですよね。「グラフィック中心」に。「ファイナルファンタジー3・4・5・6」を楽しくプレイした人間としては、「ファイナルファンタジー7」以降がまったく気に入らなくなり、一切購入をしませんでした。加えて、仲間内では「ファイナルファンタジーが変な方向にいってしまった」という始末・・。

 そうなんですよね。先日の講演を聞いてやっとわかりました。なぜ、ファイナルファンタジーが極端な「グラフィック路線」に進んだか。世界展開をするときのポジショニングのためだったんですよね。17歳の私には、到底理解のできないことでした。「ああ、そうだったのか・・」といまさらになって知ることもあります。スクウェアの皆さん、ごめんなさい!

 おわり。