淡々と仕事を進めていく。結果に一喜一憂したり、行動する前に結果を心配してしまうようだとモチベーションが高いうちはリカバリーができるけれども、モチベーションが下がると途端に継続するのが難しくなっていく。そして困ったことに、ほとんどの場合「結果はモチベーションが落ちた後にやってくる」のであって、モチベーションが高いうちに結果がともなってきたら相当ラッキーな状態だといえる。
*行動はプラスしか生み出さない、マイナスになるのは感情
行動することは実はプラスしか生み出さない。
行動をするためには時間や労力、はたまたお金がかかるかもしれない。けれども、実際に行動をしてみなければわからないことが多いし、多少の時間と労力とお金を惜しんでいては何も行動ができなくなってしまう。言わずもがな、行動をせずに結果が自然とやってきてくれることはない。
行動は最悪の場合でも「プラスマイナスゼロ」である。行動したことでまったく結果が得られなかったとしても、ゼロである。マイナスにはならない。むしろ次の行動のための仮説を立てられるデータが得られただけ最低でもプラスにはなる。行動はプラスしか生み出さない。
マイナスになるのは行動ではなく、行動をする人間の感情ということになる。感情はネガティブになったり、ポジティブになったりする。行動が結果につながらないと、実はプラスが生まれているのに、感情はマイナスに大きく振れていく。その感情の動きを決めているのが、自分の自分に対する「期待値」ということになる。
*淡々と仕事をすることで、「過度な期待」をしない
自分自身に「過度な期待」を持ってしまうと、結果が出なかったときに感情がマイナス方面に大きく振れていく。気持ちがネガティブになるとモチベーションも下がるし、次の行動を起こすことが怖くなっていく。つまり、自分に自信を失う。自信がなくなると自分が凝り固まる。チャレンジをする気持ちがなくなり、「絶対に成功する方法」だけを求めるようになる。そんなものは世の中にはないのに。
「期待」をもった方がいいのは、自分自身ではなく「行動」である。アイデアや具体策には「もっとお客様が喜んでくれるのではないか」「もっとお客様が楽しんでくれるのではないか」「もっとお客様が興味を持ってくれるのではないか」と期待を持つのが良い。期待を持つのが「自分自身」なのか「行動(具体策やアクション)」なのか、これが「淡々と仕事を進める」ことができるかを決める。
行動の結果、たとえ数字に繋がらなかったとしても行動した人間が悪いのではない、行動の元になったアイデアや具体策やアクションの仕方がズレていた(できれば悪かったという言葉も使わない、「ズレていた」などの言葉を使う)だけなのだ。そのズレを成果検証して、また新しいストーリーをつくっていけばいい。
*結局、自分たちの「持ち駒」分しか結果は出ない
当たり前のことかもしれないが、結局は自分たちの「持ち駒」の分しか結果はでない。100メートルを15秒で走る人がいきなり10秒を切ることはできないし、5キロを走ったことがない人がいきなりマラソンで好記録を出せる(完歩することは根性で可能だろうが)ことはない。「持ち駒」の結果しか出ない。ネガティブに聞こえるかもしれないが、ポジティブに考えて欲しい。こう考えると、行動に移すことのハードルが下がらないだろうか。
【no.1695】のECMJコラムでも書いたとおり、業務をできるだけルール化、ルーチン化、パターン化すれば比較的「淡々と」仕事を進めていけるようになる。同じように成果検証も淡々と。行動も検証も「感情」に揺さぶられず、淡々と継続をしていく。継続をすれば必ず何かのカタチになって結果は戻ってくる。