こんなことを書いたら怒られるかもしれないんですが、メガネとかコンタクトレンズとかレーシックとかっていうような商売ってすごいと思うんですよね。だって「人の目が悪くなる」からこそ成り立ってる商売じゃないですか。
そんなことを言ってる私も実はレーシックの経験者だったりします。
小学生のころは両目とも1.5とかで良い方だった気がするんですが、中学校からだんだんと目が悪くなりだしました。なんで目が悪くなったかって考えると深夜に(電気をつけずに)テレビをみていたとか、テレビゲームを際限なくやり続けていたとかそんな理由で黒板の文字が見えづらくなっていきました。
まあ、中高一貫の学校に通っていましたから高校受験もないので、正直いって黒板の文字とかどうでもよかったんですね。黒板の文字が見えづらいのも承知の上で席替えではできる限り後ろの席を選んでいました。まあ大学受験も予備校に通っていたわけではない(自宅や図書館で参考書を読んでいた)のでここでもとくにメガネは必要なかった。
目が悪いというと、メガネやコンタクトがないと生活できないくらいの友達とかがいましたが、私はそこまででもなく、薄目で頑張れば文字を確認できる程度だったですし、そもそも薄目で黒板の文字をみるしぐさが「ちょっとカッコイイ」くらいに思っていたので、メガネとか本当に不用のブツだったんですね。ただ大学の一年か二年のときのこと、自動車学校という壁にぶち当たってしまったんですね。
「石田さん、あなた視力が足りないので免許取れませんよ」入学前の検査でそんなことを言われてしまい、これは年貢のおさめどきかなと親を頼ってメガネをつくることになりました。それが初めてのメガネ体験です。無駄にメガネにこだわり当時のカルバンクラインの高級品っぽいものをねだってしまったのでした。(メガネの原価率が異常に低いことはそれから10年以上経って知る)
しかしメガネ期間の寿命は短く、当時圧倒的に伸びてきていたコンタクトレンズ(2000年頃)にほどなく変更、そしてその8年後くらいに当時流行りはじめていたレーシック(2008年頃)の手術を受け、メガネもコンタクトも使わずに裸眼で毎日の生活をおくっているわけです。ちなみにレーシックの手術を受けることを両親に相談・報告しなかったという理由でいまだにネチネチいわれております。確かに親は心配ですよね。(親になってわかる)
前置きが長くなりました・・。という感じで、私自身もメガネ・コンタクトレンズ・レーシックというように「目が悪い人」が経験する過程をフルで体験しているわけですが、そもそも目が悪くならなければメガネを買うことも、コンタクトを付ける練習に苦労することも、レーシックに多額のお金をかけることもなかったんですね。
そもそも日本のメガネの歴史は16世紀(戦国時代ごろ)からスタートしているようなんですが、コンタクトレンズは汎用化されてから30年くらいのようですし、レーシックの歴史なんぞここ15年くらいじゃないですか。そう考えるとメガネが一般化して目が悪い人が誰でも購入できるようになるまでって「目が見えづらくて、日常に支障をきたしていた人」はそれなりに多かったと思われるんですね。
なんか今はメガネやコンタクトレンズやレーシックなどの「視力を補完する」サービスが充実しているので「目が悪くなっても大丈夫」的な雰囲気になってると思うんですが、そもそも目が悪くなっても大丈夫なのか?メガネやコンタクトやレーシックがなかったら、現代人ってめちゃくちゃヤバいんじゃないでしょうか。
過去に比べて現代人が「目が悪くなりやすい」のかそうでもないのかはちょっとわかりませんが、「目」っていう人間で一番大事な機能が「悪くなる」からこそ成り立っている商売ってすごいなって思うんですね。そもそも目が悪くならない方法ってのはないのかって。まあ、それだけ大事な機能であるからこそ、ここまでサービスが求められ発展してきた側面もあるのでしょうが。