著者:石田 麻琴

イチローを「天才」と評する親に生まれた子は、ちょっとだけ不幸かも‥【no.0597】

 イチローを「天才」と評するか、「努力の人」と評するか。できれば「努力の人」と評する方が、自らの人生をより素敵なものにできるのではないでしょうか。

 イチロー・・のことを知らない日本人はもはやいないですよね。愛知県出身のプロ野球選手。NPB(日本プロ野球)・MLB(メジャーリーグ)でプレー。ここまで23年間で生み出してきた記録は数知れず。メジャーリーグでのシーズン最多安打や10年連続200本安打などの記録が有名。「私はもっとこの記録の方が凄いと思うよ!」という人もいるでしょう。イチローを知っている人それぞれが、それぞれのイチロー評を持っている。そんな選手。そして、2015年もいまだ第一線で現役。今日もひとつひとつ着実に記録を伸ばしている、41歳のイチローです。(あー、イチローももう41歳か~って思いますよね)

 そんなイチローのことを、「天才」と評する人がいます。または「努力の人」と評する人もいます。どちらが正しいか間違っているか、という話ではありません。世界の舞台であそこまでのレベルに到達した方ですから、まぎれもなく「才能」があるでしょうし、41歳まで活躍できていることを考えれば「努力」を怠っていないのも、間違いありません。

 ただ、イチローを評するにあたって、「天才」とひと言で片付けてしまうよりも、「努力の人」と評する方が、自分自身の人生の未来がはるかに良いものになっていくと思います。

 これは、自分自身の人生だけではありません。人の人生もです。明日のプロ野球選手を夢見る球児たちを指導するアマチュア野球の監督・コーチ。新人社会人を教育していく先輩や上司。そして、未来ある我が子を育てている親御さん。人に影響を与える人には皆、できればイチローを「努力の人」と評してもらいたいものです。

 イチローを「天才」と評してしまうと、その時点で思考が停止してしまいます。「あいつは天才だから仕方がない」「やっぱり才能のある人間には勝てない」「俺には生まれつき能力がない」。物事を考えるときに「先天的なもの」に理由を求めると、ひとつ大きな言い訳を持つことになります。いくら努力をしたって「天才」に勝てるわけがない。だから、最初から努力なんてしなくていい。そんな考え方では、人生がもったいありません。

 世の中には「天才」もいるでしょう。「才能のある」人もいると思います。しかし、あくまで大切なのは「後天的」な努力だと思います。そして、そう思わなければ人生は面白くありません。現在のイチローを見ると、自分から遥かに遠い、雲の上の人間のように思えるかもしれません。でも、イチローだって30年前は他の誰とも同じように、街のバッティングセンターで練習をしていたのです。当然、そのときのイチローに成功が約束されていたわけではありません。

 大切なのは「努力」の積み重ねです。「バッティングセンターで球を打つ」という同じ作業でも、「何をテーマにして球を打つか」「思っていたことと、実際はどう違ったか」の予習復習を自分の中に持つだけで、その効果が全く違っていきます。「努力」は足し算ではなく、掛け算で効いてきます。ひとつひとつの「努力」に意味を持たせ、それを「継続」し続けると、「複利的」に実力が積み重なっていきます。小さな積み重ねの差が、結果的に大きな開きになっていくのです。

 人は「先天」で人生が決まりません。「後天」が人生を決めます。もし、生まれたての赤ちゃんに「先天」があるとすれば、それは自分自身の能力ではありません。親の「考え方」です。これこそが、赤ちゃんにとっての唯一の「先天」です。もし、親が「イチローは天才」という親なら、それは少しだけ赤ちゃんにとっては不幸なことなのかもしれません。

 おわり。