著者:石田 麻琴

結局は「人財の数」なんだなぁと再確認させてくれた、「信長の野望」【no.0903】

 最近、押し入れの奥を整理する機会がありまして、SFC(スーパーファミコン)を見つけてしまいました。ご存じの方も多いと思うのですが、「信長の野望」というゲームソフトがあり、シリーズの「武将風雲録」という、過去にメチャクチャはまったソフトを見つけたんですね。

 これはやるしかないな、と。

 たまたま休日で、なおかつ家族がいなくて、自宅にひとりだったので、夜の予定まで、「信長の野望 武将風雲録」をやることにしたんですね。

 このゲームをやったことがある人ならご存じと思います。最初に自分がプレイする戦国大名を選ぶのです。スタンダードなのは「織田信長」なのですが、「武田信玄」や「上杉謙信」を選ぶという手もあります。「毛利元就」「島津義弘」という手もあったのですが、ここはなぜか「伊達晴宗」(伊達政宗の祖父)を選びました。

 理由は、単に私が仙台生まれなもので・・。

 ゲームは1555年当時の戦国時代からスタートします。1565年まで10年間プレイして気づいたんですが、「伊達晴宗」でプレイしても全国統一は難しいだろうということが判明しました。それはなぜか。すでに周りを「上杉謙信」に支配されており、領土を増やすには「上杉謙信」と戦わなくてはいけないんですね。「上杉謙信」他、「上杉景勝」や「宇佐美定満」「直江兼続」「柿崎景家」と戦わなければいけません。しかも、その先には「武田信玄」もいます。

 ちなみに、「伊達晴宗」の伊達家に「伊達政宗」「伊達成実」「片倉景綱」などの「使える」武将が出てくるのは1580年代になってからです。それまでは、政治力60、戦闘力60程度の武将で何とか戦っていかなくてはいけません。「上杉謙信」ひとりにやられてしまいます。

 10年プレイした時点で、「そもそも伊達晴宗に天下統一は無理だったんだな・・」という東北人にとって悲しい事実に気づき、泣く泣くリセットボタンを押しました。

 予定まではまだ時間があったので、次にプレイしたのは基本中の基本の「織田信長」。「伊達晴宗」でプレイした直後だからでしょうか、「織田信長」が楽なこと楽なこと。「柴田勝家」「丹羽長秀」といった有名どころが最初からいますし、「前田利家」「滝川一益」といった実力者も2-3年のうちにどしどし加わってきます。そして極めつけは、ご存じ「羽柴秀吉」。完全に反則です。NBAだったら、ラグジュアリータックスが発生します。この後、「明智光秀」や「織田有楽斎」まで加わるのだから、本当に恐ろしい一族です。

 というわけで、「信長の野望」をやったことがない方、日本史の戦国時代にまったく興味がない方にはわかりづらい話かと思います。それはわかっています。すいません。今日のブログでただひとつ、私が言いたいことは「結局、人財が何人いるか」だということです。「伊達晴宗」と「織田信長」の家臣のラインナップを見ただけで、どっちが天下取れるかは明らかですから。

 「信長の野望」をやっていると思うことなんですが、ある特定の戦国大名にひとりだけ、すごく優秀なパターンの家臣がいる場合があります。「山中鹿之助」とか「鍋島直茂」とか「立花道雪」とか、もっといえば「黒田官兵衛」もこれにあたります。ただ、このパターンはありがちなダメパターンで、スタープレーヤーがひとりいても天下は取れないんですね。やっぱり「人財の数」が重要なのだと思います。

 ちなみに「織田信長」で10年ほどプレイをしたのですが、突然「柴田勝家」に裏切られ、「斎藤道三」の家臣に移籍してしまいました。その時点でリセットボタンを押し、「信長の野望」は押入れ深くにしまわれましたとさ。

 おわり。