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試練が起きるのは、運が悪いんじゃなくて、運がいいんです。【no.0199】

 試練が起きるのは、運が悪いんじゃなくて、運がいいんです。

 なんか手前味噌の話になっちゃいそうなんで、先に謝っておきます。すいません・・

*小学校のときの「縦割り班」という企画

 もう25年以上前の話なんですが、小学校のとき、「縦割り班」という企画がありました。どこの小学校でもあったイベントかもしれません。もしかしたら知っている方もいるかも。

 通常、小学6年生は同い年どうしで勉強して、運動して、一緒に昼ごはんを食べます。縦割り班では、1年生から1人、2年生から1人、3年生から1人、4年生から1人、5年生から1人、6年生から1人の6人でランダムなひとつの班をつくって、ランダムな教室で、ランダムな先生が面倒を見ながら、行事に参加したり、昼ごはんを食べたりするんですね。知らない同士が仲良くなるとか、上級生が下級生の面倒をしっかり見るとか。そういう教育的な意義を求めての企画です。

 私の場合は、4年3組の教室に行って、全然知らない子たちと班をつくりました。たしか班の名前が「ぬーぼー」だったと思います。班の旗とか作った記憶あるな。ぬーぼーの画を書いて。(ちなみに地獄先生の方ではない。お菓子の方。まーしーの方です)

*「俺、ツイてないなぁー」と思ったのだけれど・・

 で、ですね。6年生、最上級生のときの縦割り班です。私の班に、ちょっとした問題児がいたんですよ。全学年で有名な。4年生の子で、しかも中国人の子だったから、日本語もあまり話せなくて。だから、私の班は、実は7人だったんです。その子のクラスで一番仲がいい子が班にいて、コミュニケーションとりやすいように。しかも、担当の先生も、その子の担任の宍戸先生(素晴らしい方だった)でした。さらに、使用するクラスも、その子の4年3組のクラスだったんですね。

 つまり、その子が縦割り班のイベントにきちんと参加できるように、本来の意義からは少し外れるけれども、体制をつくっていたわけなんですね。そこに割り振られた6年生が、私だったわけです。やっぱり6年生なので自分がリードしていかなければいけません。その自覚もあったし、自分の担任の先生からも依頼がきているわけです。「石田君、仲良く楽しくね」と。なので役割をはたして、最後の方は少しコミュニケーションも取れるようになったんですが、隣の班を見るとみんなワイワイやってる。でも、私の班は常に先生ががっちりガードしているわけ。私の中には「あー、俺、ツイてないなぁー」みたいなのがありました。正直な話。

*試練には必ずポジティブな理由がある

 同じ小学校出身で、いまでもよく遊んでいる親友が中学校の教師をやっています。そのことを話したんですよ。「縦割り班で、俺だけそんな子に当たっちゃって、あのとき参ったなー」と。その子を悪く言っているわけではなく、私に当たる確率ってすごくね、という意味で。そうしたら、彼が意外なこと言いました。

 「いや、それは、先生方、確実にマコ(石田のこと)を選んだでしょ。6年生の100人の中で、マコを信用していたからその子の班に当てたはずだ」って。なんか、それを言われた瞬間に、なぜか泣いてしまったんですね。酔っぱらっていましたし。

 それで思ったことです。つまらないと思うこと、面倒だと思うこと、つらいと思うこと、あるじゃないですか。それって実は誰かに作用されてることなんじゃないかと思うんですね。ちょうど、先生方が私を選んだように、単に自分が知らないだけで。そして、そこには必ずポジティブな理由がある。試練って、実はポジティブだから故に起こることかもしれない。ひと言でいえば、「神様は見ている」それだけなんです。実は先生方が決めていたように、きっと神様が人をみて決めているんだろうと。

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