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僕と片貝さんの思い出【no.0863】

 昨日2月1日の午前5時、弊社ECマーケティング人財育成取締役の片貝孝夫さんが逝去されました。

 今日、本当は他のブログを用意していたのですが、片貝さんのお話をさせてください。ちょくちょくブログに片貝さんのお話を書いていますが、片貝さんのことだけを書くのは、おそらく最初で最後になると思います。公私混同、お許しください。

 僕と片貝さんとの出会いは2011年の4月のことでした。実は出会ってから5年弱しか経っていません。たった5年弱かもしれませんが、片貝さんの人生に少しでも関われたことを誇りに思います。特に、最初の1年2年間は濃密な時間を過ごさせてもらいました。

 2011年の4月。現在、理事を務めているワイズ総研主催で、僕が初めてセミナー講師をしたときのことです。一番前の左端に座っていて、一番最初に質問をされたのが片貝さんでした。セミナー後の懇親会で片貝さんと初めてお話しし、その場で現在理事を務めているビジネスプラットフォーム革新協議会(BPIA)での講演が決まりました。

 ここから、片貝さんと僕の関係が始まりました。

 ワイズ総研のセミナーで出会って、僕がサラリーマンをやめてからの1年2年間は片貝さんと過ごす日々でした。ワイズ総研でも一緒、BPIAでも一緒、その他の勉強会や仕事も一緒にさせてもらっていました(そのほとんどが、片貝さんが「石田も来いよ」と誘ってくれたものでした)から、週に3-4回、ほとんど毎日片貝さんと顔を合わせていました。

 独立して会社を始めるにあたって、弊社のもうひとりの取締役である岩佐さんに相談すると「俺の他に、もうひとり役員をお願いしなさい」という課題が与えられました。僕に思い当たる人は片貝さんしかいませんでした。藤沢に向かう湘南新宿ラインで、偶然片貝さんと同じ車両になり、そのときに「片貝さん、うちの役員やってくれませんか?」とお願いしました。間髪おかず、「いいよ」と言ってくれました。

 ECMJは毎月役員会をおこなっています。岩佐さんはお酒を飲まないものですから、20時に役員会が終わると「石田、メシどうする?」と片貝さんは聞いてきて、一緒に新丸ビルの居酒屋でビールを飲んでいました。ご存じの方も多いと思います。片貝さんはビールが大好きなんです。病気になってからもう2年間くらいビールが飲めなくて、寂しかったろうなぁ。

 片貝さんとの思い出として最初に思い出されるのは、とある会社に一緒に謝りにいったときのこと。自分でも予想できなかったことが起きて、片貝さんと一緒に事情を説明しにいって、でも結局、僕が謝らなければいけないことになった。本当に悔しくて、その後片貝さんといつものように飲みにいったのですが、僕がずっと無言で食事に一切箸をつけなかったもんだから、片貝さんが「食えよ!!」って怒鳴ったんです。なんだかそれが忘れられません。

 片貝さんは、人を人として見る人です。年齢とか立場とかにとらわれずに人を見てくれる人でした。まだ独立して全然売上もなくて、全然信用もないときから面倒をみてくれて、「俺にとっては石田ってのはすごいヤツなんだよ」って言ってくれました。片貝さんを知っている人なら、そんな思い出ひとつはあるはずです。

 片貝さんは子どものときに弟さんを亡くしています。弟さんが自宅の池で溺れて亡くなったそうです。片貝さんは弟さんが池に浮いている姿をずーっと覚えていて、「自分は弟の分も生きなくちゃ!」と思って日々行動をされてきました。本当は身体が強い方ではないのに、気力で生きてこられました。今頃、60年ぶりに弟さんに会えてるのかなぁ。会えてるといいなぁ。

 片貝さんがいなくなっても、僕の心の中にずっと片貝さんは生き続けます。初めて会った日から、今日までずっとずっと忘れません。片貝さん、安らかに。

 おわり。

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