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チョウチンアンコウ。14【no.1151】

(前回はこちら

「西田、入院することになったから、7月6日の交流会に出られなくなった」

 岩本さんから連絡がきたのは6月の下旬だった。そのとき、岩本さんは病院でふたつの病気を持っていることがわかった。ひとつはポリープ。そしてもうひとつは、癌だ。

 6月の下旬に岩本さんと話してから、4か月間はあっという間に過ぎた。時間は待ってくれない。1日1日が過ぎるのは本当に一瞬の出来事だ。4か月前のことを思い出すと、本当にそう思う。だって、あの時はまだ初夏で、これから暑くなるというときだったから。もう季節は、冬になろうとしている。

 岩本さんの病気が判明してから、岩本さんにお会いできたのは4回だけ。そのうち、2回は6月下旬に病気がわかってから、7月に入って入院する前。1回は岩本さんが1度病院から退院された9月の頭。そして、岩本さんとの最後の時間になった。忘れもしない10月5日だ。

 2011年の10月に会社を設立してから、毎月一週目の火曜日は役員会だった。毎月一度、役員会を開いて状況の報告をするということが岩本さんと片岡さんに取締役を引き受けてもらうための約束だった。2016年の2月に片岡さんが亡くなっても、毎月一度の役員会は継続をしていた。しかし、岩本さんとの役員会は6月が最後になってしまったわけだ。

「西田、お見舞いにくるんじゃないぞ」

 岩本さんには笑いながらそう言われていた。僕にはとても真面目に言われているように思えた。お見舞いに行くと、岩本さんの負担になってしまうのではないかとも思った。だから、メールをした。役員会もできないし、直接会って話すこともできない、電話も迷惑になるのではないか。そう思って、会社の状況について定期的にメールを送っていたのだ。返信はいらないから、体調が良いときに読んでもらえればと。

 でも、岩本さんは返信のメールをくれた。「了解しました」とか「ありがとう」ではなく、岩本さんのアイデア、考えをメールに文章で書いてくれた。いつも役員会や電話で僕が相談をしたときに答えてくれるように。体調が芳しくない中で、メールを打ってくれたのだと思うけれども。

 10月5日。この日のことはずっと忘れないだろう。岩本さんのところへお見舞いに伺った日だ。「お見舞いにくるんじゃないぞ」と言われていたから、ずっと躊躇していたけれども、会いに行かなければ一生後悔をすると思った。だから、その日のアポイントが全部終わった後、岩本さんのところへいった。

 この日、岩本さんとふたりで話した40分間が僕らの最後の会話になった。会社のことを話した。クライアントさんの状況を話した。僕の家族の話をした。岩本さんの病状の話を聞いた。最後の時間は、とても静かで、ゆっくりとした時間だった。

 岩本さん、いや、岩佐さんについてご存じの方も多いと思う。岩佐さんは10月23日16時11分、永眠された。69歳だった。僕と岩佐さんの思い出は、この日、ひとつの区切りを迎えた。ただ、ECマーケティング人財育成という会社はずっと続いていく。岩佐さん、片貝さんの気持ちも背負って、ずっと続いていく。

 ある人が、岩佐さんについてこう話していた。「岩佐さんは、チョウチンアンコウみたいな人だから」。明るく周りを照らして、そこに人が集まってくるような人だと表現していたのだ。なるほど。そうだ、そうなのか。その言葉に僕は妙に納得してしまった。岩佐さんは僕を照らしてくれる「チョウチンアンコウ」でもあったのだ。

 おわり。

 

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