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チョウチンアンコウ。5【no.1116】

(前回はこちら

 職場から新橋までは、歩いて1時間強。けっして歩けない距離ではない。おそらく17時の会議のスタートには少し遅れてしまうけれども、なんとか参加したい。そう思って、会社で印刷した地図をたよりに新橋のタワーマンションを目指した。すれ違う人たちが、どうも暗い表情で歩いていたのが気になってはいたのだが―――。

 新橋のタワーマンションに着くと、開口一番、友人の谷井さんがいった。

「今日、中止だよ!」

 わざわざここまで歩いてきたのに嘘だろ、と思った。なんでみんな来られないんだ、とも思った。しかし、木瀬さんがつけてくれたテレビを見ると、重大な状況であることがよくわかった。僕は、本当に何も知らずに、本当に今日の会議が開催されると思って、新橋まで歩いてきたのだった。

 この日、谷井さんがつくっていたメンチカツを食べ、木瀬さんと少しだけビールを飲んで、僕はまた、職場へと歩いて戻っていった。

 ここからは、後日、木瀬さんから聞いた話だ。

 岩本さんと木瀬さんで、震災のときの話になった。岩本さんはどこで足止めになった。誰々さんは、どこで足止めになって電話がかかってきた。そんな話になったとき、「実はあの日、ひとりだけ新橋まで歩いてきたヤツがいたんですよ」という話になった。木瀬さんが、「あの西田ってヤツですよ」というと、岩本さんは大笑いをしたらしい。「おもしれぇヤツがいるなぁ!」と。

 いまでも、岩本さんは折々で「あの日歩いてきたから、お前と付き合ってるんだ」という。いま思えば、「運命の扉」が大きく開いたときだったのかもしれない。

 そんなことがあってから、岩本さんに呼ばれることが多くなった。2011年の3月だけで、何度岩本さんにお会いしただろうか。3月の終わりだっただろうか、4月の頭だっただろうか。岩本さんがいった。

「西田くん(このときはまだ君付けだった)、コンサルタントとして独立するんだろ。だったら、お前のために講演会を組んでやる」

 学生時代はバンド活動をしていた。ライブの数もそれなりに多かったと思う。会社員になってからは、社内の月次会議でプレゼンテーションをする程度。人前で何かをするのには抵抗が少ない方だが、コンサルタントという冠をつけて話した経験はない。ただ、岩本さんがくれたチャンスだと思った。そして、このチャンスを逃すと、岩本さんに見放されてしまうのではないかと思った。

 木瀬さんと谷井さんが急ピッチで動いてくれ、僕の初セミナー(講演会)は4月末の開催になった。そのときに話したのが「Eコマース『成功』のための9テーマ」。緊張のあまり、講演中は口の中が乾いて乾いて仕方がなかった。タイムキーパーのため、目の前に谷井さんが座っていたから、気持ちが焦るたび谷井さんの方を見ていた。

 僕の講演がひととおり終わり、質疑応答の時間になった。当然、質疑応答も初めて。正直、講演の中には「多少盛って」話をしていた部分もあったから、質問をもらうのが怖かった。はっきりと答えることができない質問が来るのではないかと。みんなの前で恥をかきたくなかった。そんな男だった。僕は。いまでもかもしれないけれども。

 質疑応答で最初に手を上げたのは、一番前の列の僕から見て一番左側に座っていた方だった。ビシッとスーツを着ているわけでもない、一番前の列に座っているには不思議な方だった。

 この人が、後に僕のもうひとりの恩人になる片岡さんだった―――。

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