著者:石田 麻琴

チョウチンアンコウ。4【no.1110】

(前回はこちら

 岩本さんが、西田くんに個別で会いたいといっている―――。

 岩本さんといえば・・僕の隣に座っていた。某出版社の元社長の方だ。あの会議の代表を務めていらっしゃる方だ。でも、なんで?なんで俺なんだ。心の中に響く。

 あの日の会議の最中、岩本さんとはあまり話をしなかったように思う。岩本さんは、目をつぶって下を向いたり、ときおり上を向いたりしながら、何かを考えているように僕や本橋さんや月本さんの話を聞いていた。その姿が印象的だったのだ。それにしても、なんで俺なんだろう。わからなかった。

 友人の谷井さんがいうには、WEBの業界のことはもちろんのこと、twitterで6万人のフォロワーを集めたこと、そこに岩本さんが興味を持ってくれているということだった。僕に隠すようなことなんてない。岩本さんとお会いするのは翌週ということになった。なにより、いままでお会いしたことがない雲の上の方に、気にしてもらえたことがうれしかった。

 「運命の日」は、それだけでは「運命の日」にはならない。「運命の日」がまた、ほかの一日に繋がっていくからこそ「運命の日」になる。自分でも気づかないうちに、僕の中の扉が開こうとしていた―――。

 翌週、また新橋駅の同じタワーマンションで岩本さんにお会いした。twitterで6万人のフォロワーを集めた人がいる、というのがいつの間にか知れ渡っていたようで、岩本さんや木瀬さん、谷井さんのほかにも、何名かの経営者の方がいらっしゃっていた。

 僕は経営者の方々が集まっていたことに驚きつつも、自分のために集まってもらったこと、興味を持ってもらえたことがうれしくて、自分が知っていることを一生懸命話した。ひとりよがりで、相手のことを気にせず、専門用語を使って、たぶんわけのわからない感じに話したのだと思う。なんとか、みなさんと親しくなりたい。その気持ちでいっぱいだった。

 この日、もう一度、「運命の日」が繋がった。最初の会議でお会いした岩本さん含む経営者OBの3名、コーディネーターの木瀬さん、谷井さん、そして本橋さんと月本さん、僕、またあの日のメンバーで意見交換をしようという話になったのだ。

 僕は単純に、雲の上の方々とお話しするのが楽しかった。自分の視野が広がった気がした。そして、この関係をできる限り続けていきたいと思った。それだけだ。

 ―――前回の会議から約1か月後。その日は金曜日だった。

 僕は前回の会議の日と同じように、会社の午後半休を取得していた。午後半休は10時から14時までがコアタイムになる。14時以降の退勤は自由だ。僕は17時にスタートする会議まで、会社で仕事をして待つことにした。16時に会社を出れば、前回よりも余裕を持って会場につくことができる。

 14時46分。会社のトイレで用を足していると、すさまじい揺れが襲ってきた。咄嗟につい立てを掴んだが、揺れはいっこうに収まらない。トイレを出てオフィスフロアに戻ると、同僚のスタッフ全員が机の下に隠れていた。

 そう。この日は2011年の3月11日だった。

 電車が止まっている。おそらく、しばらくは動かない。そのことに気づいたのは会社を出る少し前のことだった。いまとなっては呑気な笑い話になるのだが、地震をさして気に留めず仕事をしていた僕は、交通網の状況に注意を払わなかった。会社を出る前になって、同僚に「電車動いてないよ」と教えられたくらいだ。

 どうする。でも、17時に会議が始まる。僕は繋ぎたい。みなさん待っている。行かないわけにはいかない。

 よし。新橋まで歩いていこう―――。

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