著者:石田 麻琴

チョウチンアンコウ。1【no.1102】

 「運命の日は?」と聞かれたら、あなたはいつとこたえるだろうか。

 高校受験の合格発表の日だろうか。それとも、就職活動のある一日を思い浮かべるだろうか。もしかしたら、結婚相手に出会った日かもしれない。その一日を境にして人生が変わったか―――まではいかないかもしれないけれど、「いま思えば、あの日があったから、いまの自分がある」、そんな一日は誰しも心の中にあるはずだ。あって欲しいとも思うし、あれば素敵だなと思う。

 僕にも、そんな「運命の日」があった。

 あの日があったから、いまの自分がある。そして、あの日があったから、これからの自分もある。そんな一日だ。

 あの日、2011年の2月15日、僕は新橋駅からとあるタワーマンションに向かって歩いていた。タワーマンションでおこなわれる、とある会議に出席するためだ。会議の内容はほとんど知らされていない。ただ、会議に出席するメンバーは、どんな方なのか、それは事前に知っていた。だから、「本当に僕がその場に行っていいのか。大恥をかかないか」と心配をする。新橋駅に引き返したい気持ちは、タワーマンションに着くまで、そしてインターホンを鳴らすまで、消えることはなかった。

 つい、2週間前のことだった。

 ひとりの友人と食事をした。厳密にいえば、3人の友人と食事をした。さらに厳密にいえば、3人の友人のうち、普段から付き合いがあるのは2人。もうひとりの、つまり会議に声をかけてくれることになる友人は、この日、付き合いができた友人だった。だから、「運命の日」は、実はこの日から始まっていたのかもしれない。

 なんのことはない、友人同士の食事会だった。僕が連れてきた友人を他の友人に紹介する。そんな食事会だ。そんな中でも、お互いの仕事について情報交換をして、今後役立てる部分はないか、自然にそんな話になっていった。

 僕はとあるWEBの会社に勤めていた。大学を卒業してから就職せず、25歳になる年に初めて就職した会社だった。就職をした、というよりも社長に「拾ってもらった」という意識の方が強い。自分の中には、「賞味期限切れが間近の、行き場のないフリーター」という気持ちがあった。同級生たちが社会人として成長していく中で、だいぶネガティブになっていたのだと思う。

 25歳でやっと入社した会社での、最初の上司は大学生だった。有名大学の三年生。スーパーインターンとして、名前が知られていた学生だ。挫折だった。4歳も年下の大学生に、「西田さん、あれ、僕が授業から帰ってくるまでにやっておいてください」とか言われるわけだから。最初の1年で辞めようと思った。けれども、辞めても何にもならないことはわかっていた。

 1年2ヵ月後。社長に直訴して、ひとつのプロジェクトを任せてもらえることになった。そこから、僕の社会人人生が少しずつ好転していく。会社が保有していたノウハウと、市場環境の変化がガッチリと噛み合い、プロジェクトの実績はぐんぐんと上昇。たった1度だけ、小さな範囲だけだが、「日本一」の称号をいただくこともできた。

 2011年。入社してから6年が経とうとしていた。年齢も30歳を過ぎ、ちょうど今後の仕事について考えていた頃でもあった。

 そんなときの食事会だった。何も特別な食事会でもない。同世代の友人を同世代の友人に紹介して、お酒を飲んで、同世代の思い出話をして、それで普通に楽しく解散をする。そんな食事会になるはずだったのだ。

 西田さん、再来週、うちで会議をやるんだけど、出席してみない―――。

 友人からの、その誘いをもらうことがなければ。

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