著者:石田 麻琴

「気づく力」を養うための論理的かつ効果的な方法【no.0541】

 プレゼンテーション力(伝える力)、自己管理能力、論理的思考力・・。成果を残すために必要な能力は様々あると思います。中でも「気づく力」を論理的かつ効果的に養うも成長するための重要な要素なのではないかと思います。

「気づく力」とは、情報の「違和感」を感じる力

 「気づく力」とは、日々浮かんでは消え知らぬ間に目の前を過ぎていく情報の中で、「おやっ?ちょっと待てよ。なんか変だぞ!?」と気がつくことができる力です。情報の「違和感」を感じる力とも言い換えられるでしょうか。一見同じように見えるAとBを並べたとき、「AとBは同じです」という人がいます。しかし、AとBのわずかな違いに気づき「AとBは違います」と指摘する人もいます。この違いはいったいなんなのでしょうか。

 数字を読む力、データを読む力も、これと全く同じ原理です。日々システムから抽出されるデータを見て、ちょっとした違いに「なんかおかしいぞ!?」と疑問を持つことが大切です。そのためには、同一条件同一期間でデータを見ていかなくてはいけません。「あれっ?今日は何だか暖かいぞ!?」と思ったとします。もしも起床したのがいつもよりも2時間遅ければ暖かいのは当たり前のことです。毎日同じ時間に起床して、同じ条件で気温を感じる。だからこそ「なんかおかしいぞ!?」と小さな変化に気づくことができるのです。

「気づく力」が論理的に養われたプールの更衣室と銭湯の靴箱

 さて、ここから完全な余談になります。私の場合この「気づく力」が養われたのは、プールの更衣室と銭湯の靴箱でした。「もしかしたらこれが原因なのでは!?」と気づいたのです。

 ふたつとも意図しているのは同じです。プールの更衣室にも銭湯の靴箱にも、「鍵をかけるときに100円玉を入れるけれど、鍵を戻すと100円玉が返却される」タイプのロッカーがあります。一般的なロッカーです。おそらく、私の「気づく力」はあの場所で養われたのではないか―――。

 子どものころ、親や友達とプールや銭湯にいくと、帰りに必死で「ロッカーに忘れられた100円玉」を探したものです。しかし、いかにも「100円玉探しているなぁー」という行動するはさすがに恥ずかしい。ロッカーから自分の着替えや靴を取り出し、出口に向かう途中で何となしにロッカーを見回して、「あれー、100円玉忘れちゃった人いるー。もらっとくかー」みたいなのを気取りたいわけです。(子どものころのことなんで許してくださいね)

 ですから、ロッカーを端からひとつひとつ凝視していくわけにはいきません。いかにもという感じでいやらしいですし、親や友達が先を歩いているわけですから、そもそもひとつひとつを凝視している時間もありません。もちろん、親や友達にも100円玉を探しているのを悟られたくもありません。ロッカーの全体をスマートにパ~っと見て、100円玉を見つけなければいけません。

「画」の残像を残しながら「画」の残像と異なるものを探していく

 そこで考えたのが「違和感を探す」という方法でした。まず100円玉の残されていない状態のロッカーの正面に立ち、ロッカーのデザインとレイアウトを頭の中にひとつの「画」として入れます。そして、その「画」の残像を残しながら、他のロッカーをスマートにパ~っと見回します。「画」の残像と異なるものを探していくのです。つまり、ロッカーに残された100円玉を探すのではなく、各ロッカーの「違和感」を探していったわけですね。

 この方法でロッカーを見ることで、短時間で100円玉をバシバシ見つけることができました。なんとうちの親も「あんた100円玉を見つけるの得意ね」と、私に一定の評価を与えていました。もちろん、母親には1円も上納しておりません。おそらくこの方法はスタンダードなやり方のひとつです。もしかしたらこの経験を積んだ人は社会でも同じように「気づく力」を活用できるのではないでしょうか。

 ということで、子どもにはプールや銭湯で積極的に100円玉を探させましょう。