最近、良く走っています。
自分でも「意外と続くなぁ」と感心しています。2日に一度のペースで夜中(といっても22時くらい)走るのが少しずつ習慣になってきたようです。走らないと、なんだか気持ちが悪くなってきますから。やっぱり身体に習慣づいてきたのだと思います。
自宅は埼京線の板橋駅。板橋区と北区と豊島区の3つの区の住所が混ざっているという妙な駅です。ここは思ったより良い場所で、豊島区の方に走っていけば池袋とサンシャイン60が目標になり、北区の方に走っていけば巣鴨ととげぬき地蔵が目標になり、板橋区の方に走っていくと中山道をつうじて戸田橋の方まで行くことができます。なので、ランニングのコースには飽きません。
また、ここ数年、本当に運動をしていなかったので、走るたびに500グラムとか700グラムとか、大幅に体重が落ちていきます。やはり、成果が目に見えるのは面白く、やる気も出るので、今のところは順調という感じでしょうか。もしかしたら、次に私に会ったときは、ガリガリに痩せているかもしれません。11月は出張が多いので走る時間が取れるか不安ですが、なんとかして継続したいと思います。
そんな、走っているときに、「いつも思うこと」があります。
シンプルに「もう歩きたい」です。年齢ももう若くはないですし、数年運動をおこたってきたことから、ランニングを始めて5分ほどで足が痛くなってきます。10分ほどで息が切れ始めます。そうすると、頭の中に浮かぶのが「もう歩きたい」です。走るのをやめて、歩いたって健康管理にはなるわけです。それほど痩せないかもしれませんが、多少のダイエットにもなるでしょう。だから「もう歩きたい」と思う。普通に歩きたいな、って思うんです。その方が楽ですし。
また、「今日は巣鴨駅まで走るぞ」と目標を設定してスタートした場合、「本当に巣鴨駅まで走り続けられるかどうか」という不安にさいなまれることもあります。私は弱いのです。そうすると、また「もう歩きたい」という気持ちがフツフツとわいてきます。しかし、「もう歩きたい」という感情と共に、もうひとつ頭の中に浮かぶことがあります。「歩いたら、終わりだぞ」です。
そりゃあ、途中で止まって歩き出しても良いのですが、走りを「やめたら、終わり」とも思うのです。そして、「歩いたら、終わり」という感情の先にあるのが、「歩きたいけど、それは今じゃない」という冷静な気持ちです。いま現に走っているわけだから、いま走れなくなったわけではない、だったらいま歩く意味もない。そんなことです。「今日は巣鴨駅まで走るぞ」と先のことを考えると「無理だ」になりますが、いまは無理でも何でもないのです。
きっと、仕事も同じなんだと思います。というか、私自身も仕事を同じ気持ちでやっています。「つらい、大変だ。けれど、それは決していまではない」。さすがに「やめたい」とは思いませんが、仕事をしている人なら誰しも「つらい、大変だ、逃げたい、不安だ」という感情はあると思います。でも、それは「いま」じゃないんですよね。
ランニングをするときと同じように、「いまじゃない。いまじゃない」と考えながら、「いま」に向き合って続けていった結果が、目標への到達なんじゃないかなと思います。私の場合、だけなのかもしれませんが、走っていると「いま」だけを見ることができます。「いま」一歩一歩、足を進めていかないと、絶対に目標の場所には到達しないのです。急に足が速くなったり、タクシーに乗れたりなんて、そんな人生はないのですから。
「千里の道も一歩から」じゃないですが、「いまできること」を1日1日継続していくことが大切なのではないかと改めて思います。ランニングをするたびに。そして、そんな自分を見つめなおすために、また今夜も走りに出てしまうのです。(毎日走っている人にとっては「え?そんな話?」という感じでスイマセン)
おわり。