チョウチンアンコウ。10【no.1136】
(前回はこちら)
岩本さんと片岡さんとの役員会は、基本的に僕の一方的な状況の報告である。
前月の売上数値と利益額。当月の売上数値と利益額の予測。クライアントさんの各社がどんな状態にあるか。どこに課題を抱えているか。コンサルティングを検討してくれている会社さんの共有。また、今後予定されているセミナーや講演の依頼。そして、日ごろ仕事を進めていく上での自分自身の悩みも、役員会で相談をしていた。
基本的には僕だけ、コンサルタントひとりで動いている会社である。ひとりだから、小さな悩みや大きな喜びを普段誰かに共有することはあまりない。ひと月に1度の役員会は、自分が思っていること、素直な悩み、困りごと、言いたいこと、嬉しかったこと、自慢したいこと、いろんなことを岩本さんと片岡さんに発散できる場だった。
役員会で岩本さんと片岡さんに、あまり怒られた記憶はない。「こうしなさい」と具体的な指示を受けたこともあまりなかったように思う。ふたりは、取締役であり、僕のメンターだ。「こういう風に考えてみたらどうだ」とか「昔、こんな人からこんな話を聞いたことがあるよ」というものが多かった。「西田はどういう風に思う?」と、僕自身が解決策を考えられるように導いてくれるのだ。
会社はけっして順調だったわけではない。コンサルタントとして、仕事が増えたり、減ったり。また、クライアントさんの売上が上がったり、動かなかったりするときもある。自分自身では「まだいける」と「もうダメだ」の繰り返しの日々をおくっているのだが、岩本さんと片岡さんのふたりはあくまで冷静。苦しんでいる僕を「まぁ、そういう経験も通る道だよ」と見守っていてくれる節があった。
岩本さんと片岡さんは、僕自身がコンサルタントとしてやっている仕事を、そのまま僕に対してやってくれていたのだ。毎月1回、第一火曜日の夕方から、役員会でコツコツと。もう、60回以上、毎月1回の役員会は続いている。
2014年の初夏のことだっただろうか。16時とか17時とか、夕方だったと記憶している。岩本さんからの電話があった。片岡さんが、病気になったというのだ。一瞬、頭が真っ白になった。
片岡さんは闘病中にも、役員会に出席してくれた。入院先の病院の食堂で役員会をおこなったこともある。とにかく、役員会は全員出席。そのルールを体調が悪い中、片岡さんは徹底してくれた。1年半の闘病生活の間で、役員会を欠席したのはたった1度か2度だったのではないかと思う。
片岡さんとの思い出の中で、一度だけ怒られた記憶がある。
ちょっとしたスタッフの考え方のズレから、クライアントさんと揉めた。自分としてはいい関係を築けていたように思っていたので、手のひらを返されたようで戸惑っていた。片岡さんが間に入ってくれ、クライアント先の社長と片岡さんと3人で、東京のとあるビルの会議室で話すことになった。クライアント先の社長は、基本的にこちらの言い分を聞く気がなく、話し合いは決裂。片岡さんと僕で話し合い、コンサルティング契約を解除することになった。
帰り道、僕ははらわたが煮えくり返って、片岡さんと一切話さないまま、駅へと歩いた。片岡さんが「西田、一杯飲んでいこう!」というので、そんな気分ではなかったけれど、中華料理店に入った。片岡さんが何品か注文をしたものの、僕はまだ腹が立っていて、箸をまったく付けない。見かねた片岡さんが、「いいから食えよ!」と僕を怒った。片岡さんに怒鳴られたのはこの時だけだ。ちょっとしたエピソードだが、たまにこの日のことを思い出す。片岡さんは、2016年の2月1日に亡くなった。
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