コンテンツマーケティングは、現代おける「修行」です。 【no.0165】
弊社が毎日ブログを書いていることをご存じの方も多いと思います。いま、あなたが読まれているこのブログがそうです。
弊社のブログのキーワードとしては、「原理原則」「セオリー」「本質」「データ活用」「ネットショップ」「マーケティング」「人材育成」あたりや、私が理事をしている研究会の紹介、弊社のセミナーの紹介、あと気が向いたときのちょっとした小話みたいなものが多いと思います。今風にいうと、コンテンツマーケティングとかインバウンドマーケティングとか、オウンドメディアとか、まあそのあたりにあたるモノだと思うんですが、今回はその話を少々。
いきなりなんですが、最近、テレビって見てますかね。たまーに、早く帰って来て、仕事がないゴールデンタイムにテレビを点けるんですが、あまり面白くなくて10分くらいで消しちゃうんですよね。点けてたままでも、テーブルにノートパソコンを開いて、ノーパソやiPadを見ながら、テレビをチラ見してる程度ですね。まともに見るのは「マツコ&有吉の怒り新党」か「サンデーモーニングのスポーツコーナー(喝!のやつ)」か、どちらかになってしまいました。
やっぱりテレビって、マスなものだから、本質的に面白くなりづらいんですよね。昔は、情報メディアが限られてて、テレビが「興味」をつくってくれたんですけど、インターネットの時代になってからはテレビが「興味」をつくってくれることはなくなった。インターネットは、興味がある情報だけを深く探していくことができますからね。ネットに慣れちゃうと、テレビがつまらなくなるのは仕方ない。
それでも、なんですけど、私が1999年に最初に姉が買ってきたパソコンでインターネット検索をしたときの感覚は、「インターネットって全然詳しくないな」だったんですよ。当時、高校3年だった私は、「REACH」とか「THUMB」(ググって)とかを聞いてたんですが、ネットで検索しても全然情報がないんですよ。自分がライブに行ったり、友達から聞いた話以上の情報が載ってない。
いまはみんなインターネットを使ってるんで、もう少し情報は深くなってると思うんですがね、たとえば、私ボクシングが好きで、村田諒太選手を応援してるんですけど、今日、村田選手がどういう練習をしたかなんてどこにも載ってない。箱根駅伝で、いつも母校の早稲田を応援するんですけど、いまどの選手が成長してるとか、推薦で入ってくる子が何で選ばれたのかとか、断片的にしかわからないんですよ。
まあ、ここらへんは対象が人なので、全部書けないのかもしれないですが、「ネットショップ」とか「データ活用」とか「人材育成」とかだったら、詰まるところ、それを検索する人に「一番知っている人が一番詳しく書いておく」ってことが本質的には求められているわけです。逆に、情報を提供する側にすれば、「自分が何で一番になれるか」っていうのを、書くことによって探しているんです。そう考えると、テキストによるコンテンツマーケティングは、「自分で書く」しかありません。自分が知っていることを知っているのは自分だけですから。
コンテンツマーケティグは修行です。毎日書き続けるのは修行以外の何物でもないと思います。やろうと思えばみんなができる。でも、みんなやらない、やりたくない。考えてみると、炎の前でお経を読み続けるとか、滝に打たれるとか、長い距離を歩くとか、いわゆる修行って詰まるところ「我慢」なんですよね。やり続けることに価値があって、それが最後の勝ち負けを左右する。それが修行なんじゃないかなと思います。他社より先行できたかや、スキルで勝敗が決まってるうちは、まだまだ序章ってことですね。
そういえば、弊社の岩佐さんが言っていたことですが、「雑誌はネタがなくなってからが本当の仕事」っていうらしいです。ネタがあるうちは誰だってやる、ネタがなくなってもやり続けられるかが、勝者と敗者を分けるということみたいですね。
コンテンツマーケティングって、ちょっとした流行りの言葉ではなくて、インターネットでの本質的なマーケティングだと思います。「自分が何で一番になれるか」を積み上げていくことが、5年10年先の勝負を分けると思っています。取り組むなら絶対に早いうちの方がいいですよ。
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